2026年の抱負
あけましておめでとうございます。
数日前に鏡開きをしました。
まだ正月気分というわけではなく、3月のひな人形ももうちゃんと片付けてあります。
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昨年(2025年)は4件しか書き込み投稿しなかったんですね。
このブログ?を書き始めてから23年近く(ヤバい数字だな…)が経過し、
もう過疎化が止まりません。
1、2週間くらい前に、書き込んでもいいかもなと思ったネタがあった気がするのですが、
もう内容を覚えておりません。
こうして日々が過ぎていき、いつの間にか月単位で時間が過ぎていくのですね。
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今年の目標は、
新たに専門医試験を受けること。
複数の学会のいろいろな単位を集めること(あと2年以内に取得しないといけないものが複数ある…)。
余裕があれば、症例報告などの論文作成(これも単位取得が目的)。
院内採用薬はどれか
勤務先がかわったときに確認すべき院内採用薬
抗菌薬以外については、
種類が多いのにどれもさほど違いがなく、使い分けの必要性が乏しいのが共通点です。
医療機関ごとに採用薬が異なることが多々あり、
勤務先が変わるたびに、どの薬剤が採用されているのか、
思いつくままに薬剤名の頭3文字を打ち込んでいくという作業をすることになります。
「シタグリプチンを採用していないだと?!先発品名のジャヌビアなら出るか、グラクティブで登録されているのか、どちらもない!腎不全にも使用可能なトラゼンタに一本化されてたかー!(たいていテネリアではない)」
「エベレンゾがだめなら、ダーブロックか?意外とエナロイとかマスーレッドか?なんだバフセオか」
忙しい時にこの(不毛な)試行錯誤をするのはけっこうストレスです。
そして、抗菌薬の場合は、どれでもさほど違いがないというわけにはいかないため、
院内採用薬一覧とにらめっこしながら病態のいろいろな側面を考慮して最適な抗菌薬の選択を図ることになります。
そんなときに、どの抗菌薬が院内採用されているか、手あたり次第薬剤名を打ち込むなんてやっていられません。
昔は院内採用薬をまとめた冊子なんてものが病棟詰所に転がっているものでしたが、近年はほとんどみかけませんね…採用薬の一減一増が1年を通じて頻回にあり、冊子の更新が間に合わなかったりコスト的に見合わないと判断されたりしたのかもしれません。
オンラインで掲示している医療機関もあるかもしれませんが、特に抗菌薬については医療機関ごとに採用薬一覧が(特にACCESSなどのAWaRe分類も含めて)いつでも閲覧できる状況が望ましいと思います。
介助サークルの書類整理
私は大学生時代に6年近く、障害者介助サークルで活動しており、
特に大学2年生から1~4年くらいはそのサークルでも実質中心的な立ち位置で活動を続けていました。
2009年に大学を卒業して距離的にはかなり離れたところに就職・転居したにもかかわらず、
その後もなんとなくそのサークルの存在が気になり、
年1~2回の頻度で、その介助先をふらっと訪問してきました。
その介助先の障害者のご自宅には、
サークル関連の書類が段ボールに6~8箱程度の量、ひっそりと置いてありました。
そのなかに、介助ノートというものがあり、
当時のこのブログを読んでいた方ならお察しのことかもしれませんが、
個人的には自分の書き込みを含め大学生活の大事な一部でもあるので、
「もし捨てるようなら私へ一報ください」という書き置きを残していました。
そんな縁もあり、2017年にその障害者が転居することになった際、
整理にあたって引き取り手がなかったことから、
一連の書類をはるばる私のもとへ送っていただきました。

それから2025年まで8年間、
私の実家、私の転居先の地下収納スペースを経て、
今は私の職場と私の自家用車とに分散されています。
2025年1月から、時間を見つけては、
書類を整理したり、PDF化したりする作業をしています。
当初の半分くらいに整理されてきたところです。
最も古いものだと1994年のものもあり(30年以上前!)、
ホッチキスやクリップは錆びだらけだし、
わら半紙やワープロ(死語)の感熱紙はよくここまで形を保っていたなという感じなのですが、
ここまで保管されてきたものたちを私の独断で整理(破棄)するのは
ちょっと忍びない気もするので、
ここで「こんなものも残っていたんだよ、今捨てたけど」と少し取り上げておきたいと思います。
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2025年1月と3月に、いろいろPDF化しました。
1994年の「紙上討議」と書かれたノート。
1998年の「介助者ノート」と書かれたノート。
1999年から安定して書かれるようになった介助ノート。
B5のルーズリーフで、厚さ25cmくらいだったでしょうか。
ときどきルーズリーフを途中で切ってあったりして、
複合機にかけるのに少し苦労しました。
あと、2000年4月から2005年1月までの、O本さん介助のローテーションカレンダーをPDF化しました。
介助に入った人、送迎を担当した人、ローテ担当の人の名前が記載されています。
ローテ担当用の電話かけリストは、PDF化が難しいためデータ化せず破棄しました。
幽霊会員化した空白欄が目立ち、書かれている会員の欄にも「ルス」「ルス」と何度も書かれているばかり、夏休み時期は「帰省」の文字も増える…という、電話かけのつらい日々を思い起こさせる血と涙の記録だったのですが、記入欄が上部で何枚も糊付けされている形式のため複写機に容易にぶち込めず、泣く泣くデータ化を断念しました。
ほか、買ってきてほしいものを書き込んだ「買い物ノート」が2冊ほどあったため、
1冊をPDF化しました。
2019年7月の亡くなる月の介護記録も介助ノートに挟まっていたのでPDF化しました。
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昨日は、1997年12月~1998年4月のリングノートに書かれた議事録をPDF化しました。
また、雑多なファイリングを整理しました。
社会福祉協議会からのボランティア関連の刊行物。
視覚障害者団体の定期刊行物「飛躍」。
水戸アカス紙器事件関連の定期刊行物が少し(まだ未整理なものも多く残っています)。
障害児の通常学級進学の活動に関連する定期刊行物。
多くの部数が発行されているはずで、少なくとも出版元で保管などされているかと思うので、泣く泣く整理しました。
なお、本サークルから派生する形で立ち上がった、
自立生活センター設立準備段階の刊行物は、そろってはいませんが、
あるものはいちおうデータ化はしないままとってあります。
もういらないかなあ…
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障害者当事者の活動の歴史は、
立命館大学の立岩先生(2023年に逝去されていたことを今知りました…)がarsvi.comである程度アーカイブされてきました。
https://readyfor.jp/projects/arsvi2007
私も大学生のときによくこのサイトにお世話になりました。
多くの当事者団体が刊行物の出版を含むたくさんの活動をしてきて、
それらの影響もあってこの30~50年くらいで制度や社会は少しずつ変わってきたと思うのですが、
どんな問題や取り組み・働きかけがあったのかを記録し振り返れるようにしておくことは、
同じ悲しみや絶望を繰り返さないためにも必要なことかと思います。
ただし、蓄積された大量のナラティブな情報を、
そのもつ意味を失わない形でどのように次世代へ残していくかは、永遠の課題かもしれません。
そんなナラティブな情報の一例が、私が今こうしてPDF化に励んでいる介助ノートとかだったりするのかなあと思いながら作業しています。
時間外労働
2月もまだ半分が過ぎたばかりだというのに、
2月の時間外業務がすでに59時間に到達してしまいました。
当初の話では、A水準である年間960時間以内であればいいとのことでした。
それであれば、月平均80時間にすればいいと考えていたのですが、
「月80時間を超えると産業医面談の対象にもなるし、超えないでほしい」とも言われました。
それであれば、毎月80時間にすればいいと考えていたのですが、
その後「36協定上、月45時間超過を連続しないでほしい」と言われました。
調べてみると、特別条項付き36協定には「年6回まで」と記載はあるものの、
連続してはダメという記載は見当たりません。
いったい何を根拠に言っているのかわからなくなってきました。
そういうのなら、月45時間と月80時間とを交互にすればもう文句もないだろう、と考えていたのですが、
その後「月60時間を超えた場合は上長に是正案を提出してもらう」と言われました。
さすがにもうこれ以上言われた条件を守って業務をこなすのは無理です!
先月も60時間余裕で超えたので、
休日労働や深夜労働に当たる割増時間帯のものを優先させて申請し、
割増のない時間外労働は申請時間を短縮させたり取り下げたりして、
60時間をなるべく割増になるよう配分しました。
いったい何やってんだか私。
そして先述のとおり、今月も60時間超えそう(ていうか絶対超える)です。
「年6回まで」の1年の区切りは、36協定における起算日が基準になるらしいので、
私の職場での起算日がいつなのか事務へそれとなく確認しながら(質問内容がそれとなくなりようがない)、
記憶ではすでにこの1年、月45時間以内を隔月で守ってきた気がするので、
きっと来月こそは月45時間超えられないんだろうなと気づきつつ、
来月すでに30時間の時間外勤務が確定済みなんだけどなと思いつつ、
そういえば3月31日は異動(医局人事)前で年休消化する予定だったけど時間外勤務分の代休ってことにして時間外を8時間分チャラにすればいいや!と思いつき、
そういえば年休ってそもそもなんだっけと素朴な疑問をもち、
いったい何やってんだか私。
年休を消化しないことは全然気にもならないんですけどね。
時間外業務の報酬はちゃんとほしくなる。
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診療というよりやや「自己研鑽」に近い(けど自己の研鑽にはあまりむすびついていない)業務内容(外来予習とか担当患者さんの治療戦略についてガイドラインなどで確認しながら検討するとか外来患者の自宅から近い逆紹介先をgoogle mapで探すのとか)が、申告している時間外業務と同じくらいあるものの、これらは私が患者さんのためを思ったサービス精神に基づく自主的行動なので、サービス残業でやむなしと思っています(これらを自分のためにやっているかのような「自己研鑽」という呼ばれ方をされるのはちょっと気に障る…)。
でも、多職種で共有できるよう診療録を丁寧に記載するとか、普段からベッドサイドでACPを進めて都度記録するとか、インシデントレポートをゼロレベルでも作成するとか(この1か月で私は10件くらい作成した)、過去にはあまり求められなかった内容の診療をしているとどうしても時間内にしきれない業務があふれかえって、結果として延長した定時の手術とか夜間の緊急呼び出し対応とかも含めて時間外申請できずサービス残業になってくると、報われない感じでちょっとつらくなってきますね。さらに「時間外業務申請は時刻だけでなく患者名、ID、疾患名、処置内容も記載すること」などと言われると発狂してきます(私は毎月数十件、上記の項目を埋める作業をしています…心が折れそうですがここでめげては相手の思うつぼと言い聞かせて真夜中に泣きながら書いています)。
医師の働き方改革は、最初は「まずは正確な申請と労働状況把握を」という、とっかかりはよかったものの、その後段階的に条件を他業種に近づけていった結果、ここにきて規定と実態との乖離を代償しきれなくなってきて、結果すでにしわ寄せが「申告控え」「サービス残業」のますますの増大となってきています。
せめて実態通り申告するのを一番守ってくれるような仕組みにしてほしいものです。
戦後の半分以上を生きている
いつの間にか私は
戦後の半分以上を生きていることになっていました
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今日で、戦後79年。
第二次世界大戦は私にとって遠い出来事のように感じていましたが、
私が生きてきた40年よりも短い過去にあった出来事ということになります。
戦時中の記憶を持つ人がどんどん少なくなり、
あと10年、20年もすれば、ほとんど戦後に生まれた人だけになってしまうのだろうけれど、
残された私たちの世代は、戦時中を知る人からの記憶を受ける側ではなく、
戦後の影響が残る時代の記憶を次の世代へ受け継いでいく立場になりつつあるんですね。