四角いパレット

katataka's blog

ゆっくりした生き方

看護師のHさんは本当にステキです!
いつも話し方がゆっくりで,いわゆるマイペースな感じなのですが,
忙しいときでも仕事にあくせくしていない感じがいいんですよね〜!
のろい!とろい!みたいな印象はまったくなくて,むしろ落ち着いていていつも笑顔なのが好印象なんです.

書きたいことを忘れたのでこんなこと書いてしまいましたが,やっと思い出しました(笑)
昨日はお茶のお稽古だったのですが,そのあとで先生と「なんでお茶を続けているのか」ってな話になりまして,
その場の流れでコーヒーや夕食をご馳走になってしまいながらいろいろ話したのですが,
そこで私は自分の中で再確認したんですけれど,
ゆったりした時間をすごすことは,たとえ必要だとは思っていなくても,設けてみると違うなって思いました.
私は別に「自分の時間」「プライベートな時間」「心を休める時間」っていうのがなくても生きていけるんです.
ずっと忙しいまま1週間突っ走って,朝に部活やって,病院実習行って昼休みも惜しんでお仕事して,夜も遅くまで病院に残ってみたり部活に行ってみたり急遽介助に入ってみたりして,夜中に家に帰ってそれが20時だろうと1時だろうと用時が済んだ時点で入眠して,また5時になったら起きてご飯食べて6時過ぎには体育館に行って.土曜日も部活の練習して,介助に入って,日曜も買い物に行ってお金下ろして通信過程のレポート書いて.家で2時間とかぼーっと過ごすなんてことない.癒しとか別に求めない.
それは単純に私がまだ若いからなのかもしれません.
疲れを知らないでいるだけかもしれません.
でも,そんな突っ走れる今だからこそ,
あえてスローな時間も設けたほうが自分にとってプラスなんじゃないかと思うんです.
本当は土曜の午後も家帰って洗濯して部屋片付けて家計簿つけて買い物行って日ごろの睡眠不足を解消させるべきなんでしょうけど,
そんな合間をぬって部活を早退して自転車片道25分走らせて,
わざわざ茶室で正座する2時間を確保するっていうのは,
そういうスローで心休まる時間が自分の生活のなかに存在しているっていう,積極的な経験のためなんだって考えています.
休みたくなくても強制的に休んでみる.そうしてそれまで気づかなかったものが見えてくることもあるんじゃないか.

年配の患者さんに「家ではいつも何をしていらっしゃるんですか?」と聞くと,
よく「庭いじり」という答えが返ってきます.
庭いじりってそんなに1日もかかるものなのかなと不思議に思っていたのですが,
昨日お茶のときに「庭いじり」を見ていて思いましたね.こりゃ1日どころか一生の生きがいになる仕事だわって.
どの枝を刈り込むかで悩んだり,花のしおれたのを摘み取ったり,地面に落ちた葉を掃いたり.
またどのような木をどこに植えるかでも1日くらい悩みます.
枝つきのバランスも考えます.下に生える草の量のバランスも考えます.
自分の経験と美的センスを信じながら,試行と決断を繰り返して毎日庭を創造していくのです.
別にそんな庭いじりがお金を生み出すわけではないですし,誰かが我がことのように喜んでくれるわけでもありません.
ただ,時折庭を訪れる人がちょっと「ステキだな」「心地よいな」と思ってくれる,そんなことを想像して,
毎日飽きもせずに(ていうか飽きないですこりゃ)庭いじりするんでしょうね.
ほかの人が見たら少しずつなんだけれど,でも確実に庭が変わっていく,そんなゆっくりした生き方.

「ゆっくり生きるなんてこと,現代社会の処理能力についていけない落ちこぼれが提唱する甘えだ」とか思っていましたが,
そして今でもゆっくり生きる良さなんて私にはわかりませんが(笑),
でもゆっくり生きるってことを実行している人にしか気づけない,感じられない,
考え方とか感情とかがあるんだろうなって尊敬する部分も生まれました.
後日,昨日お茶のとき話した「代替医療」について書くつもりですが,
そういった,普通に過ごしていては気づけないはずの生き方や考え方や価値観や世界に,
気づいていく,知っていく,理解していくっていう大切さを,これからも忘れずにいようと思います.