四角いパレット

katataka's blog

サークルのあり方

我が介助サークルももうすぐ代替わりの時期です。
私も3年前までそのサークルの代表をしていたのですが、
久しぶりに介助先にある介助ノートを振り返ってみました。
当時の私は大学3年生。
まだまだ青春真っ盛りな感じで、学校の試験やサークルの業務に追われながらも、青春っぽいことしてました。
あぁ、若かったなぁ(^_^;)
結局いろんな人に迷惑かけてました。
それでも自分なりに精一杯やっていたつもりだったと思います。
......抽象的な記述にとどまりますが。
具体的に書くと、なんかいろいろ蒸し返すようなので、やめておきます。
......ここに書く意味ねぇ〜。だったら最初から書くなよって感じですな。

2週間後にある総会の前に、
16年前このサークルを立ち上げた初代代表が学習会に来てくれることになりました。
長い間このサークルと付き合いのある障害者の取り計らいです。
この前に彼が来たのはちょうど4年前。私が大学2年生のときでした。
そのとき彼は、会の考え方としてのビジョンとかありかたとかについて語ってくれたようなのですが、
私はあまりよく覚えていないんですな。
当時の私は名前だけの副会長で、会の成り立ちとか経緯とかをようやく断片的に把握してきたころでした。
だから、現状もちゃんとは把握できていないまま、将来の進むべき方向とかはまったく想像もできませんでした。
その後すぐに私は会長となり、引き継ぎ資料をダンボール6箱くらい受け取り、
それを片っ端から読んでいくなかで、これまでのミーティング議事録や学習会のレジュメから、
会の成長してきた過程を自分なりになぞっていきました。
しかし、知ったところでどうしようもありませんでした。
確かに、過去の経験は温故知新で今に生かすこともできるでしょう。
しかし、学生の意識や、考え方や、活動理由というのは、以前から明らかに変化してきていました。
今のメンバーに適した新しい会のあり方を模索する必要もあったのです。
そのあり方の答えははっきりと出ないまま、なにも変えられず任期の1年はあっという間に過ぎていきました。
それでも、理解ある同級生たちに恵まれて、自分たちなりの活発な活動はできたと思っています。
ただそれを次の学年へ充分に継承していくことができませんでした。
ちょっと不足していた気がします。
そして年月を経て、今に至りますが、
その間それなりに運営の様子をみてきて、
その学年その学年、一部の中心的な運営メンバーは頑張っていて、活動も盛んなのだけれど、
会全体の活動量を相対的にみると、この数年で明らかに減少してきているんですね。
そのことに危機感を覚えて、最近つくば大学の学生だけで小さな学習会を始めました。
気軽に、サークルのメンバーで集まる。
そういう、サークル活動の根本ともいえるものが欠けてくると、自ずと活動量も減ってくるのは避けられません。
ではどうすればいいかというと、わかりません。
いま活動のメインの場となっているいりょう大学の状況も、よくわからないので。
だから少なくとも自分のいる大学で、細かい持続的な活動を進めようと思っているところです。
あと半年だけどね♪