四角いパレット

katataka's blog

既視感

そういえば今からちょうど一年くらい前の夜、
この道を自転車で走ったのも、こんなときでした。
ひとしきり外で話したあと、おもむろに自転車を漕ぎ出した夜道。
冷え切った体。今一度引き返したいと思う心。それを打ち消すかのように漕ぎ続ける脚。
既視感。
そのときと立場は逆だけど。
いや、逆ではないのかもしれません。
今回もまた、私は大きな未練を残して自転車を漕ぎ出してしまったのかもしれないのです。
私は何をしたいのでしょう。
目先の快楽のため? そう自覚すらできる自分。
ならば強引に押し進めれば互いの不幸をもたらすのみ。
今新しい展開を求めることに何の利益も生むことがないのは、冷静に考えると当たり前に導かれることですが、
それを肯定してくるのは了解しがたくて、
この1年間を経てたどり着いたはずの自分の決心が、わずかに揺らいでめまいを感じました。
しかし、
今なされる行為はすべて、物事に終末を迎えさせるケジメとしての位置付けが自動的になされるのであり、
今回もまた例外ではなく、清算行為の一つとなるのです。
ならば、これは定められた結果であり、そこに行き着くのは当然のものであるとして、
その物事の自然なる成り行きに刃向かうことは、不自然な歪みを生み、
何の良い結果をも生まないといえます。
どう考えてもそうだから仕方ない(笑)
そうやってエンディングはたたみかけられていくのですね。