四角いパレット

katataka's blog

シャワ

しゃわしゃわ。
先日、手話通訳付きのかんじゃさんがいらっしゃったので、
調子に乗って私も少し手話を使ってみたら、
そのかんじゃさんは私を見て大げさに驚かれて(ジェスチャーとして驚かれたのだと思います)、
心電図の基線が揺れてしまいました。

大変久しぶりに手話なんぞを使ってみたのですが、
それは偶然出会った外国人に英語を使ってみるのと同様に、
いざ話そうとしてみるとなかなか出て来ないものなんですよね。
使っていないと本当に忘れてしまいます。
今回かろうじて出てきた手話は、
「大丈夫ですか?」と「終わりです」くらいでした。
「おつかれさまでした」は、どういう手話だったか自信なかったので使えませんでした。
あれほど毎日のように(というのは言い過ぎですが)使っていた「おつかれさま」を、
もう忘れてしまったのです。
ショック。
拳で左手のどこを叩くんだっけ??
やってみると手首がしっくりくるから、たぶん手首だったような。
あ〜、聴覚障害学生がまわりにいて手話が入り乱れた世界って、
手話を学ぶには本当にいい環境だったなぁとしみじみ思い返します。
学生時代は時間が足りなさすぎました。好奇心をやむを得ず犠牲にした部分も多かった気がします。
大学6年間という、ほかの人よりは恵まれた条件ではあったけれど。

fukushiを通じていろんな視点を経験させてもらいました。いつも求める以上のものを与えてくれました。
ボランティアと云ってしまうとそれまでなのですが、奉仕ではなく、「好奇心で首を突っ込む」ということが、いつも私に新しい発見と刺激を与えてくれたのです(和訳調)。
そういうことに喜びを感じてしまう私は幸せな部類なのかもしれません。