四角いパレット

katataka's blog

過去の操作と世界線

この4日間の夏休みにいろいろ経験したり再会したり変化したりしたことがあって、
そのことを書こうと思っていたのですが、
その前に、今ふと思ったことを書き留めておきます。
全然関係のないことです。

ニュートリノが光速を上回る速さで移動したように観測されたため、
そこから、過去へ時間をさかのぼることが出来るかもしれない、という可能性も再び脚光を浴びるようになってきました。
過去へ移動できるか、という命題について語るとき、「世界線」という概念が用いられることがあります。
今回、初めてその言葉を聞いたので、あまり意味を知りませんが、
でもこの「世界線」という言葉にちょっと興味をもちました。

それで私がいろいろ妄想をして思ったのは、
過去へ移動できるようになった「世界線」というのは、今私たちの存在している「世界線」とは別のものだということです。
過去へ(自由に)移動できるようになった「世界線」のなかでは、すでに未来からの移動物がそこここに存在しているはずです。
どんな未来からも、どんな過去へでも、移動できるのであればですが。
しかし今みる限りでは、そういった、未来からのものって見当たらないんですよね。
未来から過去への移動を倫理的に制限する、なんてこと、今の原子力のコントロール以上に難しいことです。
その、倫理的に設けられるであろう制限が、法によるものか、技術によるものか、それはわかりませんが、
でも制限というもの自体、絶対的であるはずがありません。
たとえ制限し始めた数年間は守られたとしても、それが10年後も 100年後も、人類(=タイムマシンを操作できる存在)が滅びるまで、制限しきれるとは思えません。
必ず、どこかの時点でその制限は崩壊し、未来から過去への悪意ある移動がなされ、
世界にいろいろな不都合を生み、そして未来からの移動の痕跡をどの時代においても生んでいるはずです。
この今私たちのいる世界線が、今後、過去へ移動できる技術を生み出すような世界線であるのなら、
少なくともちらほらと、未来からの移動物が見つかっているはずです。
それがないってことは、今後も、この世界線では過去への移動を実現させることはない、ってことです。

そしてさらにいえば、過去への移動を可能とさせた場合、その時点(?)でその世界線は存在を失うと思います。
タイムマシンを作った世界線では、いずれそのタイムマシンの発明が不都合となるはずです。
だって、不都合じゃないですか。良心にもとづいた規制なんてできるはずがありません。
そして、いわゆる「未来から送り込まれた、タイムマシン発明者への刺客」が、どの未来からかわかりませんが、生じてくる訳です。
タイムマシン発明から数年間は生じなくても、10年後とか、20年後、あるいは1万年後に生じるかもしれない。
その世界線のどの時点においても、過去を操作できる技術と伝承能力がある限り、そういう「タイムマシンを発明させなくする」という操作の試みは生じてくる訳です。
つまり、「タイムマシンが発明された」という世界線が生じた瞬間、その世界線にある未来のどこかで「タイムマシンが発明されなかった」とする操作がなされ、そのある意味絶対的な操作により世界線は再び「タイムマシンが発明されなかった」ものに戻され続けるのです。
タイムマシンが存在した瞬間(?)に、その世界線において時代の操作が無数に行われ、無数の世界線が生まれます。しかしそうやってパターンが無数に細分化される中で帰着するのは、「タイムマシンが発明されなかった世界線」ただそれ1つのみなのです。
端的に言うと、過去を操作することができる技術は、その技術自体によって発明を阻止され続ける、ということです。
だから、私たちは、たとえ原理的・技術的に可能であったとしても、過去を操作できない世界線を歩み続ける運命にあるのです。