四角いパレット

katataka's blog

生命観・世界観を語る

物事にはすべてに目的がある、とよく言われます。
受験に失敗して浪人することも、一生の伴侶と出会うのも、評定D「不可」で春からまた3年生をやりなおすことも。
でも、その目的となったものの目的は?
そうつきつめていくと、宇宙の存在する目的にたどりつきます。
あるいは、生きる目的にたどりつきます。
生きる目的ってなんでしょう?
これに似た話、以前にもしましたね。
目的なんてないぜ!と私は思います。
***
「江口達也」みたいな名前の人(ジェンガアバターを描いた人気マンガ家です)の
「ラストマン」っていうマンガ、第六巻の最後が圧巻でした。
そこでは「オレの遺伝子こそが最後まで生き残ってやる!」みたいなことを言い合ってるんですけど、
そういう、積極的に残したいって意思は、
実際はあまり働いてはいないんじゃないかと思います。
どちらかというとむしろ、
「こうしたい。それが結果的に子孫を残しやすくなる状況を作った」
のような感覚だと私は思います。
そもそも、子孫を残す本質的な動機なんてありませんよね。
だから、子孫をより残す者が優れているとは限りません。
残りやすいものが残っている、という当たり前の現象に優劣はありませんし。
この当たり前の現象が、DNAの複製システム発生により、一般的な残りやすさを超えてきたので
誤解してしまいがちなのです。
DNA複製も要は、アミノ酸のかたまりがたまたま塩基にそって走る性質をもっていて、
それがたまたま同じ塩基を作っちゃう性質ももっていた、
という化学物質の現象なのです。
その延長で生物の営みも、つきつめれば化学物質の現象...
ナトリウム金属と白金とどちらが安定しているか、というのと同じことなんです。
大したことないぜ、人の営みなんて(笑)。
宇宙もそう。ていうか、この世界だってそう。
もともと、世界っていう概念すらなかったと思います。
そこになぜか、宇宙が現れた。ビッグバン!「世界」の誕生です。
そのとき時間も長さも広さも大きさもできたと、物理学界でまことしやかに言われてます。
つまり、気の弾みで起きたビッグバンがもしなかったら、
世界を語ることすらなかっただろうに、というわけですよ。
大したことないぜ、世界なんて(笑)。
***
話は飛びますが、
森林太郎」って、どう読みますか?
森林 太郎
しんりんたろう
ですよね〜♪ 私、高校のときは、こう間違えてました(笑)
これは森鴎外の本名、森 林太郎 です。
...どうだっていいか(笑)