四角いパレット

katataka's blog

日の丸・君が代問題

日の丸・君が代問題について私の見解を少し。

私個人としては、日本の国旗は日の丸だと思うしそれに嫌悪感を抱くこともありません。
また君が代も、歌詞の解釈は別として、個人的な感覚としては抵抗はなく、
むしろ国歌として尊重し、演奏されるときは起立したくなります。

しかし、教職員に職務命令として起立・斉唱を強要するのは間違いだと思います。
起立するかしないか・斉唱するかしないかは個人の問題であり、教師の義務などにはなりえません。
たとえ「式典の場でこのような行為をすることは教育上問題である」とはいっても、
不起立を訴えたり強要しない限り、むしろ「教育上」よりは教師自身の権利を尊重すべきです。
ひいては「思想の自由」の一例を生徒に示す機会ともなり、教育上も有意義なことであります(笑)
そして「座るのは命令違反だ」「式の厳かさを乱す」などと周りが騒ぎ立てるのは、
それこそせっかくのおめでたい式典の雰囲気を乱す行為です。
立ちたい人は立ち、座りたい人は座り、国歌を聞きたくない人はそっと耳をふさいでいればいいのです。
ただそれだけの個人のことなんてそっとしておけばいいのに、なんでわざわざ騒ぎ立てる。
強要するだの、拒否するだの。個人的な部分を勝手に他にまで拡張させるな。
自分の個人的思想を、そっと自分のものにしていればそれでよいのに、
わざわざそれを主張し共感させ自分と同じ行為を他者にもさせようとするからややこしくなるんです。
君が代の歌詞の解釈だって、どれが正しいってものではないでしょう。
だからこそいろんな考えが存在するし、それらはすべて尊重されなければなりません。
お互いの考えや思想は尊重する。そうして初めて自分の思想は尊重されるのです。

ちなみに一方で教師は、生徒の教育を受ける権利を侵害することはできません。
だから、歴史を学ぶこと、国歌を知ることを妨げてはいけません。
それは教師の個人的思想とは別のものであるし、教師という職業柄、生徒の学ぶ権利を優先させなければなりません。
しかし、歴史にもいろんな解釈があるのも事実です。
だから教師は解釈が一部に偏らないよう注意しながら複数の解釈を教えることも許されると思います。
同時に生徒がその解釈の真偽を自分自身で検証し考える方法を、やはり一方に偏らないよう配慮しながら教授する必要もあると思います。
むしろこのように生徒自身で考え自分の思考や価値観を形成していく力こそ、いま現代必要とされている教育なのではと思います。