四角いパレット

katataka's blog

ヴィクトリア湖

昨日は図書館を渡り歩いて勉強してました。
つくばだいがくの中央図書館、体芸図書館、医学図書館、医療大の図書館。
1日で4つの図書館を渡り歩いたのはギネスものかもしれません。
くだらないけど。

昨日は映画を見ました。
ダーウィンの悪夢』みたいな原題の映画です。邦題は知りません。
アフリカのタンザニアなどにあるヴィクトリア湖周辺での、
漁業と暮らし、貧困、武器の密輸入をテーマに描いたドキュメンタリーです。
武器の密輸現場自体は撮影されていないから、密輸が事実とは断定できない、などといった批判もあるようです。
ドキュメンタリーとして描かれると、見る人はついそれだけが事実と思ってしまうものです。
私も、少なくともいくつかの勝手な思い込みをしていると思います。
ただ、事実に近いものであるとは信じています。
ヴィクトリア湖に放たれた外来の肉食魚が、その地で加工され、
輸送機によってヨーロッパやユーラシアに向けて運ばれていること。
そのうち一部は日本でも白身魚として食卓にならんでいること。
だから、日本にとってもアフリカのヴィクトリア湖における問題は他人ごとではないこと。
HIVが確実に死者を増やし、また社会を崩壊させていること。
HIVで夫を亡くした女性のなかには、売春で生計を立てる者もいること。
そして乱暴を振るわれ、時に命も危険なこと。
魚の梱包材のプラスチックを燃やして出る煙を吸って、その恐ろしさや不安を打ち消そうとしていること。
戦争を歓迎する地元民がいること。
戦争によって自国からいろいろなものが支給され、その軍人にとっての生活が豊かになる、という理由。

環境とか、社会とか、
そういうことを考えるのは、自分の生活に余裕があるからこその道楽じみた勝手な行為なのかもしれません。
自分の生活がギリギリな人は、
自然環境の保全とか、在来種とか外来種とか、そんなことはどうだっていい。
今日、どう自分の分の食糧を確保し、どう生き長らえるか。
それだけが関心事なのです。
それにはなんの不思議もありません。
だから食糧を巡ってケンカをするのも、10年後のヴィクトリア湖の生物構成を推測しないのも、
食糧をもたらすヨーロッパ人に対して絶対的な成功者というイメージをもつのも、
その姿が姑息であっても倫理的でなくても、そうしていることに納得できます。
ヨーロッパ人が「ここの人は働かない」と言うのは、労働に対する価値観の違いから生まれることで、
生活の手段として直結する労働にのみ、労働として携わる文化だから、
貯蓄とか投資とかいう西洋の労働価値観とは相反するのだと思います。

今こうしている瞬間、
ヴィクトリア湖で彼らは何を思い何を考え何をしているのだろう、
と思いを馳せると、自分が過ごしているこの時間が、それまでとは違ったものに感じられてきます。
一日一日、目の前を生きていく姿。
真剣に向き合う今日という日が、また始まるのです。