四角いパレット

katataka's blog

えいず→同せい愛しゃ→

昨日、介護給付費の過剰請求(?)の件で介助先をお邪魔したところ、
そのときいた介助者(大学2年生の女子大生さん)につかまってしまい、その場でいろいろインタビューされることになりました。
その間当の障害者は放ったらかしだったのですが、よかったのかな?(笑)

テーマは「えいず」。
先日あった集中講義で、えいずについてのインタビューを3人程度にしてレポートにまとめよ!とのお達しがでたそうで、
なんだか医学チックなイメージをしていたのですが、よく話を聞けば、
「男性のどう性愛者という概念は日本においてはえいずの感染拡大が注目される中で生まれたカテゴリーだ」という仮説が
その講義で展開されていたそうで、
むしろ同せい愛者について話を進めていけばいいのかも?って感じでした。
そこで、同性あい者についてのインタビューとあいなったわけです。

男性の同せい愛者へのイメージはどんなものか?という切り口からインタビューは始まりました。
外国人?どんな外国人?人種は?国籍は?民族は?所得層は?どんな体格?
日本人?どんな日本人?
映画?どんな映画?そこで同せい愛しゃはどう描かれていた?
そんな話から、やがて、その人(その話の中では最初芸能人だった)が同せい愛しゃだと知ったとき、どんなイメージになるか?という話になり、
そりゃショックだなあ、特にそれまで思い入れのあった芸能人なら、とか思ったわけです。
そして、そのショックっていうのは、それまで期待していた仮定というか、人格というかを、否定されて、
これまでの付き合いまでもがガラガラと崩れていく感じかも、と私はいいました。
そして、もし友人が「自分は実は韓こく人だ」とか「在にちちょう鮮人だ」とか言われたときのショックに似ているのかもしれない、
とまで言ってから、う〜ん?それってやっぱ民族に対する差別?とか思って、ちょっと焦りました。
韓国人って、悪いイメージなのかな。もしアメリカ人だって言われたら?アメリカ人なら見た目でわかるか。
「国籍が違うってのはどうですか?」
と彼女に聞かれましたが、私はそんなに国籍を重視しないんだな。
私が移民の国・北海道生まれだからでしょうか。その先代の出身地とかはそんなに重要な要素ではありません。
「はあ、そうですか......」
と不満げな彼女は関西出身。
ちなみに私は同和問題とか社会科の授業で勉強したけど今イチ実感がわかなかったように、
彼女もアイヌ問題とかは今イチ実感がわかなかったようです(笑)

話を戻します......
相手が、たとえ「日本民族」でなくても、生まれた時から今までずっと日本の地域や社会で育ってきたら、
その人の価値観とか生活とかは日本人と同じで、さほどショックも受けない気がする。
ただ、私が「ざいにち朝せん人」に対して、たとえ彼らが日本にずっと住んでいたとしても、
同じ民族同士集まって生活して、自分とは違う文化を形成している集団っていう勝手なイメージがあるから、
だからショックになるのかも。(ショックになるっていうのも想像だけど。)
自分の想像の外にある価値観とか生活観っていうのは、やっぱり目の前にすると不安で、
それは相手がたとえワスプ(ホワイトであんぐろさくそんでプロテスタント)であっても同様だと思います。
同じ日本の社会で育ってきたっていう背景があるなら、
私もその人に対して、これまで出会ってきた人と同じように、ある範囲内で想定し予測し、対処したり接したりすることができる気がするけど、
親はガイコクジン、教師もガイコクジン。育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない♪
イメージの善し悪しとかではなくて、想定できない・予測できない・想像の範囲外だから感じる恐れや不安なんだと思います、おそらく。
まあ、そう自分に言い聞かせているだけなのかもしれませんが。

そして、そういうのが同せい愛しゃにもいえるのかなあと思います。私の場合。
同せい愛って、理解しようとは思うけど、でも同感とか疑似体験みたいなことはできないから、
やっぱり自分の感覚とは違う別世界に存在するモノっていう位置づけから逃れられないんです。
だから、恋愛以外の部分の価値観(たとえば友人の考え方とか、家族の考え方とか、人間関係の微妙なところとか)もちょっと疑ってかかっちゃうかも。
ただ、お金の感覚とか食生活とかにはあまり「自分と違うんじゃないか」っていう不安はもたない気がします。
あくまでも「自分はこう思うんじゃないか」っていう想像ですが。

そんなわけで、あらためて自分にも差別的?なところがあるんだなあって再確認できました。
別に私は差別を世界からなくそうとか思ってません。
世界に平和がおとずれることはないと思っているのと同じように。
それは努力し続けるものであって、決して差別とか闘争意欲とかを人間から消し去ることはできないと思っています。
すべては無知への不安から生じるもの。
その無知を皆無にすることは人間には不可能。
である限り、差別や、闘争や、恐れから人間は逃れられないのです。あ〜!笑
だから、私も日本民族以外に対して差別の感情はもっていますが、
一方で他の日本人と違いを感じることなく接している(きた)中国人や韓国人などもたくさんいます。
(あ、でも欧米人とか西アジアとかの民族には、やっぱり外見があまりに違いすぎるので、ちょっと隔たりを感じますが。)
結局、個々の相手を知ることで不安は解消されますし、それにより不安からくる差別も解消されてくるのです。
と思うのですが、さて実際のところはどーなんでしょうね。自分でもわかりませんことよ。