四角いパレット

katataka's blog

反省会会場

今回の反省会会場はここですか?

大変遅くなりましたが,8月末に参加したどぅまらのご報告をさせていただきます.
39kmをすぎたあたりで脱水による意識消失のため棄権しました.
いくら精神的に追い詰めても,肉体的な限界はこうも予期せず訪れるのだなと,
当たり前といえば当たり前ですが,こうして意識を失い一部の記憶を失った経験をした今あらためて認識しました.
今回をもって,夏季のフルマラソンは引退することにしました.

37km付近から2km以上の記憶がありません.
35km地点を超えて,右に曲がったところは覚えています.
あごを前に突き出し,目を時々開けるくらい閉じがちのまま,
ものすごい形相で走っていたかと思います.
ただただ,歩いてはダメだ,と自分に言い聞かせて走っていました.
そうして,循環血液量が欠乏して脳血流が不十分となり,
脳内血圧が40mmHgを下回って意識を失ったのだと思います.
ランニングアプリを解析すると,3時間10分頃に低温研究所の前で,
走った形跡がゆらゆらし,一度左脇の草むらへそれて30〜60秒ほど停滞しています.
思い起こせば,草むらに紛れ込んだような記憶があるようなないような.
そして時速4km以下のスピードで4分間ほどトボトボ歩き,
そして気づいた時には,ぇるむトンネルを渡る50mくらい手前の左路肩に倒れこんでいました.
両膝に擦り傷と打撲痕がありましたが,おそらくこのあたりで倒れこむときにできた傷だと思います.
救護スタッフに何度も呼びかけられ,意識を取り戻しました.
どれくらい意識を失って倒れていたかわかりません.
スタッフの方によると,それまで私はずっと,支離滅裂・意味不明なことを発語していたそうです.
だから,おそらく倒れ込む前から幸いにも周囲の方に目撃され救護スタッフに声をかけられていたようでした.
意識を取り戻して私は路肩に横たわったまま,
目の前の道路をランナーが何人も走って通り過ぎていくのを目にし,
今自分がどこにいるのか,何をしていたのか,思い出すまで10〜20秒間くらいの時間が必要でした.
どうやら今日はどぅまら当日らしい.
それにしても,いまひとつ実感がわかない.
その瞬間は,自分がこれまで39km走ってきた記憶すらまだ思い出せていませんでした.
立てるかい,と問われて,立ってみようと思い,
上体をなんとか起こして,両ひざに手をついて立ち上がろうとしましたが,
本当に全く.両下肢に力が入らず,その場にまた崩れ落ちてしまいました.
人間,気合いでなんとか立てるものかと思っていましたが,本当に立てませんでした.
その場所は,救急車など車両が入ってこれる場所ではなく,
そのためスタッフの方も救急要請については渋ってくれたため,
私も救急要請については不要と強く訴え,回避することができました.
とはいえ介助下で歩行し移動できるようになるには数分ばかり時間が必要でした.
さっきよりは少し顔色も戻ったようだね,どうするかい,あと3kmゴール目指すかい,棄権するかい,
と聞かれましたが,私は37km付近までの記憶は戻ったものの直前2kmの記憶がないままであり,
しかもこうして意識を失って倒れ介抱を要したことから,
たとえ少し復活したからとはいえ,潔く棄権するべき状況と判断し,
迷うことなく,棄権します,と返事しました.
そうしてスタート3時間15分から36分までの21分間,その場で介抱等いただいたのち,
道路近くの日陰まで歩くのを介助していただきました.
私は,家族へ連絡を取るための携帯電話が手元にあることを伝え,お礼を言いました.
この時点で,ランニングアプリを停止したところ,スタートから3時間40分が経過していました.
携帯電話の操作ですが,開くのも一苦労でした.
それまで何気なく無意識にやっていた操作,たとえば暗証番号を入力したりフリック操作したりすることが,
ひとつひとつ頭で考え出して操作し,意図した動作をしてくれているか確認するような感覚でした.
電話がつながったとき,これでとりあえず助かった,と安心して,しばらく言葉が出ませんでした.
こうして,すぐに言葉にならなくてもちゃんと状況をくみ取って冷静な対応をしてくれる家族がいることに感謝しました.
その後,しばらく休んでから私は自力でトボトボと歩き,途中で家族と合流して帰宅しました.

レース全体について.
まずは水分補給について.
1年前の,補水しても補水しても足りない絶望の二の舞を演じることはしたくないと,
今回はレース全体を通した,補水とエネルギー補給に留意し挑みました.
(留意し挑んだにもかかわらず,結局脱水で棄権することになったのですが.)
前日から塩分摂取励行しました.
当日は,直前まで水分をとっていると走り始めるころに尿がたくさん生成されトイレはどこも爆混みで15kmあたりまで我慢した挙句に5分以上も待たされた上で排尿するという1年前の二の舞にもなりかねないので,1時間半前からは飲水を控えました.
これはちょうどよい配分だったと思います.
スタート時には,エネルギー補給(+水分補給)目的のゼリータイプ200g×3個を持参しました.
私は嚥下能力が乏しいので走りながら液体を飲むことが苦手です.なので補水エリアでもあまり水分を摂れません.
なので補水エリアの間はゼリーでこまめに水分+エネルギーを補給していました.
これもよい作戦だったと思います.
30kmをすぎたあたりで手持ちはなくなりましたが,
その後,水のペットボトルを手に入れ(本当は受け取っていいものかわかりませんが),
少しずつ飲んでいくことができました.
こうして脱水予防のための涙ぐましい最大限の努力をしたにもかかわらず,
今回の恵まれた天候はランナーにとっては恵まれていなかったわけで,
残念な結果となってしまいました.

実は帰宅後,OS-1などを500mLくらい飲んで脱水補正を試みたのですが,
少し入眠して1〜2時間して起きたところ,
嘔気があり我慢できず,嘔吐してしまいました.
脱水が度を過ぎていて,胃から先へ水分が進んでいかない状態でした.
これはもう,飲んでも吐くばかりで埒が明かないので,
19時ころに勤め先へ転がり込み,細胞外液500mLを滴下,
21時に帰宅後,追加でもう500mL滴下させていただきました.
その節は当直の先生をはじめ職場スタッフの方々に余計な業務を追加させてしまい,
またいろいろお気遣いも賜りありがとうございました.
この場をお借りしてお礼申し上げます.どなたもこのブログの存在をご存知ないとは思いますが.

次にレース展開について.
今回は3時間30分を目標にしていました.
最後に3時間半を切ったのは,振り返ってみると2007年,10年近くも前でした.
こうしてランニングを再開したからには,
30歳代の今になってもまた3時間半を切れる実績を作りたい!
今年はそれなりに練習・準備を重ねてきており,数日前からのコンディションも悪くない!
(学生当時は当日のコンディションなんて気にすることはなく,夜の3時くらいまで飲んで3時間睡眠でフルに挑んだりしていたにもかかわらず3時間半ちょっとで走れていたのはやはり若さゆえだったのかと思う今日この頃)
と,けっこう本気に3時間半を狙っていて,
実際スタート1分でスタートラインを通過でき,けっこうハイペースな集団でスタートできたので
(いつもはスタートに並び遅れて5分遅れのスタートライン通過で最初のペースはキロ6〜8分くらいだったりもざらでした)
最初からキロ5分ペースで始められ,
15kmで1時間9分と,このあたりですで6分くらいの貯金をしていました.
これならいける!
あとはキロ5分のペースを維持して35km地点まで行ければ,
残り7kmはキロ6分近くへペースが落ちたとしても,3時間半でゴールできる!
と,3時間半が現実味を帯びてきて興奮したものです.
実際,35km地点で2時間47分と,貯金は8分で維持できていました.
このペースでいけば,167分/35km*42.195km = 201.33分,すなわち3時間21分20秒でゴールできる計算です.
たとえここからペースがキロ6分に落ちたとしても,3時間30分10秒でゴールできます.
ただし,歩いてしまうと,キロ6分の維持は難しくなります.
だから,歩かず,なんとしても走り続けようと,自分に言い聞かせていたのです.
(その結果,集中力が途切れる前に循環血液量が途切れてしまったのですが…と毎回同じようなオチ)

  • 5km 00:25:21
  • 10km 00:47:00
  • 15km 01:09:31
  • 20km 01:32:30
  • 21km 01:37:45
  • 25km 01:56:05
  • 30km 02:20:28
  • 35km 02:46:58


本当に悔しいですが,夏のフルについては,これが私の限界だと思い知ることができました.
以上の経過から,夏のフルは引退いたします.
あの暑い日光の下で,35kmを2時間47分で走ったことを誇りに,
これからはハーフを日ごろの目標に,ランをライフワークにしていきたいと思います.